野球やサッカー、テニスなど、スポーツは人々を魅了してやまない。

しかし考えて欲しい。実際に自分がプレーするわけではないのに、どうして人は贔屓のチームが勝てば喜び、負ければ悔しがるのだろう。

応援している選手が活躍するのもしかり。称賛を得ているのはプレーしている選手であって自分ではない。

それでも人は素晴らしいプレーで魅せてくれるプレーヤーを応援したくなるものだ。自分にはないもの、自分ができないことをやってくれる選手に、ある種の自己投影でもしているのだろうか。

そして最初は1人の選手が好きになり応援していたら、やがてチームメイトや監督についても、より知るようになり、さらにチームに愛着がわいたりする。応援にも力が入る。

私の場合NBAがそうだったのだが、選手の移籍も頻繁なこともあり、気がつけば各チームの主力選手の名前、得意なプレースタイルくらいは覚えていた。

サッカーとかバスケ、テニスなどはその卓越したテクニックに純粋に魅せられるのだろう。スーパープレー集なる動画などは、ついつい時間を忘れて見入ってしまう。

ボクシングや格闘技は見ているとこちらも、アドレナリンが出てくるのか無性に筋トレしたくなったりする。

野球は豪速球でねじ伏せたり、わかっていても打てない変化球で沸かせたり、あるいはそんなピッチャーの球を力あり技ありの一発でスタンドに打ち返したり、わかりやすい力と力の駆け引きがある。

卓球やバスケのように勝負が決する瞬間まで、手に汗を握る展開に人々は興奮する。大量点の奪い合いより、接戦の引き締まった試合のほうが見応えがあり見た時の満足度も高く感じる。

ここにくるとプレーヤーへの自己投影とは少し違った感覚になる。

これは例えばだが、親が子を見守るような心理に似ている気がする。あるいは頑張っている仲間を応援する気分だろうか。やや乱暴で語弊もあるだろうが、そんな感覚である。

選手たちの苦労や、プレー外のストイックなトレーニングを知ってればこそ、勝ったとき負けたとき共に一喜一憂できるのだ。

さらに言うと通年負けていたチームや、悔しい思いをしてきた選手が報われた時こそ、応援してきた側としては大いに盛り上がれ胸が満ちるのである。お金を掛けているとかであれば別だが。

スポーツには多くのドラマが生まれる。メッシとロナウドのスーパースター対決、フェデラーとナダルの死闘、2004年のピストンズ、2008年のセルティックス、2011年のマーベリックス…思い出すだけで目頭が熱くなる。

スポーツの何が我々を魅了するのか、その答えは1つではないのだろう。

ただ、そこには一生懸命頑張っている人を応援したくなる人間としての共感性、また周りが盛り上がってるから自分も盛り上がろうとする一種の興奮作用が働くのだろう。

日本におけるオリンピックやワールドカップはこの類だと思われる。

とどのつまりスポーツを観戦すること、そして、贔屓のチームの勝利により、ドーパミンをはじめなんらかの脳内物質が放出されるのだろう。そのことにより幸福感と明日を生きる活力を与えられ、スポーツ熱が高まっていくのだ。

これからも毎日のモチベーションアップや、お酒を飲みながらの至福のひとときのためにスポーツ観戦を続けていきたいと思う。早くコロナ収束してくれ〜!!

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